癒すということについての考察

さて、1月以来の更新になるので、はっきりいって、サボりまくりなわけであるが、やっとこさのブログ更新である。なぜか、文体が「である」調であるが、それは勘弁して欲しい。勢いで書いているからだ。その勢いがないと、更新もままならないと思うから、勢いに任せている。ということで、今回は勢いで書いてみようと思う。

さてさて、今回のテーマは「癒すということ」である。癒しというと、日本語的には、辞書で引くのと、一般的に使われているのとでは、かなり意味合いが違うように思う。

癒すということは、実は、言葉的には「治す」ということと同意語なのである。辞書を引いてみて欲しい。

一般的に使われている言葉として、癒しキャラとか、癒し系女優さんとか、いろいろあるが、それらは、決して「治す」ものではない。要するに、今の日本での『癒す』という言葉が、変化しだしている状況にあるということだ。

癒しキャラのアクセサリーにしてもなんにしても、それらを身に着けていたって、決してそれによって病気が治るわけではないが、「癒される」というわけだ。ニュアンスの問題とも言えるかもしれない。

とにかく、直接的に癒さなくても、見ているだけで癒されるものの方が、癒す作業などより重宝されている感もある。まあ、そういうものなんだけど。

癒しのサービスは提供できない・・・?

そう、癒しのサービスを提供できないかと私は考えているところがあるんですね、実は。

私の施術の骨盤調整は、いわゆる気持ち良いものではない(純粋な骨盤調整になります)し、波動リーディングにしても、血行が改善されるものではあるが、決して気持ちのよいような種類のものではない。独りオーリングに至っては、そういうカテゴリーのものですらない。風水改善サービスにしても、そうだ。

要するに、私のサービスには、癒しがないのだ……。

私自身、この事実を以前から認識していて、それがネックであるということもわかっているが、でも、大衆に媚びへつらうようなサービスを提供するのは主義に反すると思って、今日に至っているのである。

ただ、裏メニューとして、カウンセリングのサービスもやっている。これは、単純にストレスを取り除くものだから、癒し効果はあるものだ。だが、あくまでも裏メニューであり、一欄にあるメニューで対処できない場合のメニューとして、今は位置づけている。病気の原因の直接的な原因が精神的なものである場合、こうしたセッションも提案させていただいている。

あと問題は、「癒し」のレベルは、個人差があるということ。痛みが消えたとか、そうういうものは、状況の変化で確認ができるけど、癒し効果は、あくまでも個人の感覚に委ねられる部分が大きい。

そういう意味で、感じ方は個々人それぞれとなってしまう。それが問題なのだ。そもそも、気持ち良いマッサージとか、そういうものは、すべて感覚の問題であり、個人の趣味のレベルだったりする。二人の人に全く同じ物を提供したとしても、その受け取り方は同じではない。

そういう意味では、癒しというものは、再現性がないともいえるかもしれない。同じ物を同じ人に提供しても、受け取り手の問題で、どうにでも結果は変わるからだ。

そういうものをサービスの中核に置くのは難しいと私は思っている。少なくとも、やっていても、こちらが疲れてしまうであろうと。あくまでも精神的にね。

ということで結論を言うと…

まあ、そういうことで、カウンセリングのサービスを、そろそろ表に出そうかと考えています。料金はそこそこ高くなってしまいますが、それは仕方ないかな、と。

私は事務所を持たない見なので、場所もレンタルで行わなくてはいけないという制限の中でやるのですが、それでも、結果を出すということをとにかく死守するつもりでおります。

また、詳しいことが決まったら、このブログでアップします。ちなみに、料金は、カウンセリング時間が10時間からで、5万円以上になると思います。

詳しいことは、また。

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